【社会人】正社員を辞めてバックパッカーとなる

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1993年:「話す英語」を使えなかった職場

1993年、1年遅れの新卒としてある中小企業で働き始めました。

全世界の河や湖に生息する淡水魚を輸入し、日本国内の専門店などに卸す熱帯魚の貿易会社で輸出入業務に携わり、大学やオーストラリアで習得した英語が役に立ちました。

ですが、読み書き中心の業務だったので会話は一向に上達せず、たまに海外から電話がかかってくると緊張のあまり英語が口から出てきませんでした。それに、周囲の人に聴かれていると思うと、自意識過剰になりますます話せなくなりました。

3年もすると、仕事はある程度こなせるようになってきたのですが、相変わらず英語読み書き中心の業務なので会話力に進歩が見られないという状態に焦りが出てきました。当時はオンライン英会話という便利なツールは無かったので、英会話の練習をするためには通学式の英会話スクールに通うしかありませんでした。

会話に力を入れたかったのですが費用面で割が合わなかったので、妥協案として比較的お財布に優しかった英語塾で英検準1級の資格取得のための勉強を始めました。中学生や高校生に交じって週1回塾に通う他、自宅学習も欠かさず、遊びに行く先にも常に英検の過去問を持ち歩くほどチカラを入れていたので1次試験も二次試験も一発合格することができました。

同時にTOEICも受験したところ、800点取得することができたのです。大学5年生の時から100点UPしたことの感動はひとしおでしたが、試験で高得点することと、英語で話せることは別物です。モヤモヤした気持ちとオーストラリアでの失敗、正規留学できなかった後悔の気持ちがせめぎあっていました。

沢木耕太郎の「深夜特急」に感化されて

同時に大学時代、英語に拘らず世界に飛び出していった女友達が羨ましくもありました。その他の休学仲間はそれぞれにインド・タイ・アメリカ・中南米・アフリカ・中国などを旅したり、働いたり、自由を謳歌していましたが私は案外臆病だったので、英語圏以外の国を一人で旅することなどできるわけないと思っていたのです。

そのような気持ちを当時の同僚に話したところ、沢木幸太郎の深夜特急を読むよう勧められ、全6巻セットの文庫本を気前よく譲ってくれたのです。タイミングが良すぎるとはこのような事を言うのでしょうか、その内容は私の心に突き刺さり、私も沢木耕太郎が辿ったルートで旅がしたい、と強く思うようになったのです。でも貯金はありません。どうしよう? 色々迷いましたが、今行かなければ何時行くの?

当時は27歳を過ぎるとおばさんだ、という変な思い込みがあり、26歳だった私はとにかく日本を出よう、と現金とトラベラーズチェック合わせてたった40万円分を持って中国に向けて旅立ったのです。振り返ると、よくそんな冒険ができたと思いますが若気の至りですね(笑)

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