日本帰国 就職してアメリカへ

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1999年:インドで仕入れた雑貨をフリマで売る

インドから日本に帰国した後、何をやろうかと考えていましたがどうしても会社勤めをしたくなかった私は、現地で雑貨を仕入れてフリーマーケットなどで販売しようと計画を立てました。そこで、タミールナドゥ州のポンディシェリという街で、Tシャツやベッドカバー、お香などを60Kgほど購入し、郵便局から船便で東京に向けて送ったのです。

その後、夜行列車でカルカッタまで戻りフィリピン経由で東京に戻りました。東京では今でいうシェアハウスに住所を置き、荷物を受け取り早速代々木公園のフリマを予約して売ってみたところ、予想以上に売れたので自分の仕入れセンスに自信を持つことができました。

そのまま東京でビジネスを継続すれば良かったのですが、当時の友人は大阪に多かったので大阪に拠点を移して雑貨ビジネスを継続することになりました。中古のボックスワゴン車を購入し、販売品を積み込み奈良・和歌山・京都・兵庫・各地に行商しにいきました。

実家がある香川県にも足を延ばし3日連続のフリマで販売した際は先ず先ずの売り上げを上げることができたので各地で試してみることも悪くないと思いました。ですが、仲良くなった同業者の方は一か所で固定客を持った方が確実だとアドバイスをしてくれました。一か所に落ち着くことが苦手な私はついつい足を延ばして広範囲で活動してしまったことが反省点です。

2000年:就活したら即採用アメリカ赴任したお話し

売れる商品が底をついてくると仕入れが必要となりましたが、インドはあまりに遠く、時間も経費もかかるため応急策としてタイに仕入先を変更しました。2か月毎にタイに行っては大阪のフリマで売っているうちに、売れるものと売れないものの傾向が掴めるようになってきました。

当時は東南アジアやインドの雑貨が流行っていたので更に踏みこんで継続していれば軌道に乗せられたと思うのですが、母親から不安定な商売など止めるように非難され続けたため敢え無く終了することにしたのです。でも、それくらいのことで止めるようなら本気度が足りなかったんだろうと思います。

そもそも雑貨ビジネスをやりたかった理由は海外と関わり英語を使った仕事を自ら作り出すということだったのにいつしか海外にもあまり行かなくなり国内での仕事が増えてしまっていたので本末転倒のようにも感じていました。そこで、不本意ながら会社勤めに逆戻りすることにしました。

当時、大阪で英語を使う仕事が異常に少なかったので東京で就活を始めました。また、香川県の実家に戻ることも視野にいれるため高松市でも人材紹介会社に登録しに行きました。ところが、人材紹介会社3社から言われたことは「海外業務を経験されたあなたにご紹介できるお仕事はありません」ということでした。

香川県には国際空港も港も無いので海外取引が殆どないので仕方ないことですが、私は諦めきれず4社目を当たりました。その人材会社は豊富な案件を持っており、アメリカ勤務の仕事を紹介してくれたのです。1週間後、面接の当日に採用が決まり、その1週間後にはロサンゼルスに飛んだほど猛スピードで物事が進み、それまでウジウジ悩んでいたことが嘘のような展開になりました。

英会話力を伸ばしたいがためにバックパッカーの旅に出たものの、日本帰国後は方向性を間違ったと悩む日々が続いていましたから、とうとうチャンス到来!アメリカでその経験を活かすことができるんだ!と意気込みロサンゼルスでの生活を開始しました。が、そうは問屋が卸さないもので、あり得ない日々が始まったのでした。。。

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